おもてなしトイレ
日本の「有料トイレ」発祥の地は有馬温泉と言われています。
世界の歴史を調べると、最古のトイレはメソポタミア文明の「テル・アスマル遺跡」で、紀元前2200年ごろのものです。その後、古代ローマ帝国では上下水道が発達し、随所に公衆トイレが設置されました。
それを有料化したのが皇帝「ウェスパシアヌス」(在位69~79年)。用を足す人々に課税し、集めた尿を売ります。当時は羊毛の脂分を尿で洗い落としていたので、販売先は羊毛加工者らでした。だからイタリアでは今も公衆便所を皇帝にちなみ「ウェスパシアーノ」と呼ぶそうです。
日本でも江戸時代になり、排せつ物が農耕の堆肥として使われるようになると、ふん尿の商業取引が始まります。そこに出てくるのが、有馬温泉のお話。
赤穂浪士が討ち入った翌年の元禄16(1703)年、江戸で大地震が起きて上方に人々が流れ込み、町人文化が発達します。生(いく)玉(たま)神社(大阪市天王寺区)では大道芸人が腕を競って大いににぎわいました。
その中で、ひときわ人気を集めたのが米沢彦八です。上方落語の創始者の一人で、元禄16年に彼が出版した「軽(かる)口(くち)御(ご)前(ぜん)男(おとこ)」の第4巻に有馬が出てきます。
演目名は「有馬の身すぎ」。ある男が、何かよい商売はないかと近所の知人に相談すると、有馬の旅館で夜ごとに宴会を開いていると聞かされます。「で、その2階から小便をさせる商売をやったらどうだ?」。そう助言されて早速、竹ざおと桶(おけ)を持って温泉街を巡り始めます。
竹ざおの中の節々をぶち抜いてパイプ状にし、2階からおしっこを地上に流させるというわけです。「2階から小便させまっせ!」と売り声をあげると「俺も俺も」と注文が相次ぎ、男は大喜び。しかし、そうこうしていると若い娘さんにお願いされて…。
「しもた。漏(ろう)斗(と)を持ってくればよかった」
そんなあけすけなオチで、3代目桂春団治さんの十(お)八(は)番(こ)でもあったそうです。
有馬では太(たい)閤(こう)橋のバス停付近にトイレをつくる際、有料にするかどうかを検討したことがあります。有料にするなら「日本の有料トイレ発祥の地」をキャッチフレーズにしようかと考えましたが結局、無料にしました。ローマ皇帝や竹ざおの話のように、おしっこが売れる時代でもありません。やっぱり大切にしたいのは、お客さまをおもてなしする心です。
ただし、完成したトイレは2階建てに見えるようにしました。そう、「有馬小便」を想起してほしいと考えたのです。